人はなぜ怒るか。

この話は論として確立していなくて、タイトルは「なぜ落ち込むか」でも以下の文脈は成り立つが、書いてみる。

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人が怒るということを突き詰めて考えると、実は根っ子はひとつしかない。

  • 「自分が期待した事と違う事が起きている」

要するにギャップだ。

デートをすっぽかされて腹が立った → 当然くると思った奴が来ない=期待と違うことが起きた
例えばこういうこと。

では、デートをすっぽかされた相手には何と言って怒るだろうか。

「連絡もしないなんて非常識だろう」

と、こう言うかもしれない。

連絡もせずにすっぽかす事は非常識な事であって、本来なされるべき事ではない。だから来なかったお前には非があるし、嫌な気持ちになった俺に対して謝罪をするべきだ、とこういう主張だ。

でも、これは大人になる過程で身につけたひとつの論理的なテクニックでしかないと、こないだ気づいた。

本当は、来ると思っていた俺の気持ちに反した行動をされた事に怒っているんだ。

でも、「俺の期待に外れている!」という怒りかたをしたとして、相手に正しく伝わるだろうか。「すっぽかしたのは悪かったけど、いつでもお前の思ったとおりになるとは限らないじゃん!」と、無用な反発を生まないか。

実は、「俺の期待に外れている!」という怒りかたは、子どもの怒りかたなのだ。子どもの怒りはとてもストレートだ。包み隠さない。ワガママな自己主張で失うものはない。

自分の主張──この場合怒っているという感情──を、誤解なく相手に伝えるためには、単純に感情を吐露する事は得策でない。

  • 一般的な常識では約束は守るべきであるし

だからこの話は自己中心的でワガママな自己主張ではなくて一般的な見地からも正しいと言えるわけなんだけれど

  • 約束を破るからには相応の連絡をよこすべきだし

この点がお前の間違いであり、認めさせたいポイントだ。

  • だから俺が怒っているのは当然だろう

ほーら理解できただろう?

背景に流れるのはこういう事なんだ。
自分の期待した結果が得られかった事を、世間一般の常識を論拠として相手の非を指摘しているわけだ。自身のわがままかもしれない自己主張じゃないぞ、お前もきっと持っているはずの常識で考えてみろよ、さぁどうだ?とこういうわけだ。

この例はとても単純な例である。

だから、究極的には「俺の思った事と違う」から怒っているなんでもない事を、その理由や理論武装がとても重厚で仰々しい抗議文を作り上げる事だって可能だ。

いろんな怒りの根源が「期待と違うこと」にあるとすれば、感情にまかせて直接的に表現をしない事が大人になるという事のひとつであって、本質的に怒るという事そのものは変化していないということが言えそうだ。

はやりのメソッド化

思いつきの話だけど、XXXXメソッドって言いたいじゃん。

なんか怒ってるらしい文脈(N)を、紐解いて(H)、結論を全て「〜の期待と違うから怒っている」と結論付ける(K)メソッド。略称はまだない。

ネタを探そうと「抗議文」で検索したら、大きな新聞屋さんとか有名な宗教団体さんとか、絶対に怒られそうなものばかりが出てきたのでやめておきます。

このメソッドによって、なぜ怒っているかを浮き彫りにすることが出来る。怒るというのは、その人が思う期待と違った事になることで、何を期待していたのか、それが正当な期待なのか、一定の評価ができそうだと思ったんだよね。